

当社は創業以来40年、国内外を問わずあらゆるメーカーの材料を、お客様のご要望に合った形・寸法に加工する加工メーカーとして歩んで参りました。
しかし、一連の騒動に端を発したアスベスト全廃の動きの中で、ユーザー・メーカーとも混沌とした状況にあり、試行錯誤が継続しております。このような状況に合って、ノンアスベストのガスケット選定については、いろいろな事例の情報をいただき、また、各種ご相談もあって、当社にもそれらに関する技術・知識が集約され、今後は単なる加工メーカーでない相談相手になり得る、信頼される加工メーカーを志向する所存です。
パッキング・ガスケットの基本はシールするということであり、より効率的なシールはエネルギーのロスを減少させ、資源の無駄な使用を減少させる事で、今日的課題である環境問題にも貢献できると考えています。その為にも、ケースバイケースでより適切な選定が求められます。前例に捉われない斬新な発想でこれら課題・要望に応えて参ります。
当社は小さな会社ですが、その最大の利点である小回りが利くという利点を残しつつも技術・知識の異なる体系的集約・活用を通じて社会に貢献して参ります。
今後とも、皆様のご指導ご鞭撻を賜ります様お願い申し上げます。

| 昭和38年4月 | 大阪市東成区において「冨士パッキング工業」としてパッキンの加工・販売を開始する。 |
| 昭和41年6月 | 同じ東成区内に移転・拡張。 |
| 昭和43年5月 | 東大阪市松原において、石綿紡織品の生産を始める。 |
| 昭和43年7月 | 法人組織化し、会社名を冨士パッキング工業株式会社とする。 |
| 昭和45年9月 | 松原の紡織品工場を泉南群阪南町に移転する。 |
| 昭和47年4月 | 本社の現在の地(東大阪市御厨中1-9-27)に移転拡張する。 |
| 昭和47年9月 | 資本金を200万円に増資する。 |
| 昭和49年6月 | 泉南群阪南町の工場を泉南群男里に移転拡張する。 |
| 昭和54年12月 | 資本金を400万に増資する。 |
| 昭和57年3月 | 福山営業所を開所する。 |
| 昭和59年10月 | 本社社屋を改築する。 |
| 昭和60年3月 | 韓国富士パッキング工業株式会社と業務提携を締結する。 |
| 昭和61年5月 | 資本金を1,000万円に増資する。 |
| 昭和62年1月 | 韓国富士パッキング工業株式会社と相互代理店契約を締結する。 |
| 昭和62年3月 | 福山営業所を(有)冨士パッキング福山として独立させる。 |
| 昭和63年10月 | 泉南工場内に泉南営業所を開設する。 |
| 平成2年6月 | 社名を現在の株式会社富士コーポレーションに変更する。 |
| 平成2年8月 | 先代・駿河冨一に代わり、現社長・駿河稔が就任する。 |
| 平成10年6月 | 販売部門と製造部門を別会社化する。 販売部門が、現在の株式会社富士コーポレーション。 製造部門が、現在の有限会社エフ・ジー・エム。 |
| 平成20年5月 | アスベスト規制対応の為、泉南工場の解体・建増しを行う。 |
| 平成21年5月 | 第二工場を移転拡張する。 |